「月刊农学部長」第47号(2022年6月)
「月刊农学部長」第47号(2022年6月)
5月 长引く奥颈迟丑コロナと山口大学の自慢
今やオミクロン株の第6波なのか、さらに変异の入った亜种の第7波なのかも定かでなくなりましたが、感染者数の高止まりが続いています。今年度に入ってからの山口大学生の感染者数は、约2か月で50人超に上り近所で时々発生する出来事になっています。同时に、特に若者の多い大学では、ほとんど重症化しないととらえられている雰囲気です。讲义はもちろん、実験実习も基本的には対面形式で行われていますので、正课教育に関してはコロナ以前の大学に戻ったと言ってもよいでしょう。また、教员の海外出张や学生の留学も徐々に许可されるようになってきました。残るは、课外活动や饮食を伴う集会等の规制です。
さて、シリーズの2回目ですが、一番オーソドックスな山口大学の自慢です。
山口大学の自慢(その2)~长い歴史がある~
山口大学が2015年に創基200周年行事を行ったことを覚えている教職員は多いと思います。1815年に長州藩士の上田茂右衛門(鳳陽)先生が藩に嘆願して、山口市中河原(市役所付近)に文学所?山口講堂を開設した時点を起源としています。創基という表現が少々あいまいですが、これを山口大学発祥とするならば、東京大学、東北大学に次いで日本で3番目に古い大学となります。「本当?」と思う人がいるかもしれませんが、当時多方面で先進していた長州藩のバックアップがあったことを考えると、決して不思議な歴史ではありません。ただ、この山口講堂に农学部の起源があったわけではありません。1980年に編纂された「山口大学30年史」を読んでみると、农学部の起源は、1883年(明治16年)に中河原のすぐ近所(現在の山口市中央2丁目)に創設された山口県栽培試験場農事講習会であると記載されています。この講習会は2年後(明治18年)に獣医科を伴う山口農学校の創立に繋がっていきます。
その後、現在の山口市小郡町に設立された山口県立農業学校?山口獣医畜産専門学校等を経て、1949年(昭和24年)には新制国立大学の1学部としてスタートすることになります。この時の大学設置委員会審査の正式書類には、経済、文理、教育、工学、農学の5学部が認められ、その設置条件には、「農林学部を农学部とし、学科を農学科と獣医学科の2科とする」という文章があります。当初、農林学部を申請したけれど、林学科は認可されなかった歴史があるようです。経済、文理、教育は山口市役所付近にありましたが、工学部は宇部市に、そして农学部は下関市長府での開校となりました。それから、約20年が経過した1970年前後に、文理学部から派生した人文学部と理学部、教育学部、経済学部そして农学部(農芸化学科を新設した3学科)が吉田キャンパスに総合移転し、現在の山口大学の基本形が完成します。以上のような歴史を顧みると、农学部は、山口市中央町→小郡町→下関市長府→山口市吉田と移転していることになります。
先日ジョギング中に、山口市民会馆の里驻车场で「山口県农学校発祥之地」という石碑を発见しました。上记史実通り、明治18年の日付が刻印されていました。市役所の隣ですから、何かの机会に访ねてみてください。と言うことで、やっぱり「歴史がある」というのは一つの自慢です。
