2015年8月18日
お盆休みはどう过ごされましたか。例年と同様に高校の同窓会に行く予定でしたが、ちょっとした都合で行けなくなり、いつもの幕末史跡巡りのため下関と小仓に行ってきました。
下関駅近くに车を止め、そこから自転车で、奇兵队结成の地の白石正一郎宅と、高杉晋作终焉の地に向かいました。高杉晋作の史跡としては东行庵(2014年12月1日のつぶやき)が有名ですが、晋作はよく活动していたのはこの界隈のようです。桜山神社に行く途中で晋作の疗养の地を见つけました。下関市内が见渡せる景色のいい高台の上にありました。
桜山神社には、日本最初の招魂场があり、吉田松阴、高杉晋作、山県有朋ら、下関攘夷戦、四境戦争、戊辰戦争で戦死した者を始め、尊皇倒幕运动で亡くなった长州藩士が祀られています。高杉と争った赤祢武人(1月5日のつぶやき参照)の碑はありませんでした。东行庵にもやっと平成7年にお墓が建てられたのですから、ここにも碑を建ててあげてよいのではないでしょうか。
それから车に自転车を积んで、小仓に移动し、四境戦争の小仓口の激戦地であった赤坂に立ち寄りました。ここで奇兵队は多くの戦死者を出しましたが、自ら遗体収容もできず敌である肥后军の横井小楠(しょうなん)らが手厚く葬ったそうです。これまで访れた、石州口(2014年9月29日のつぶやき)、大岛口(2015年1月5日のつぶやき)、芸州口(2015年4月27日のつぶやき) ではこのようにはっきりとした诸队の墓はなく、奇兵队の活跃を知ることのできる数少ない场所の一つと思います。
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| 高杉晋作疗养の地。小仓口で幕府军を破ったあとに病状が悪化し、この地で疗养したそうです。终焉の地はここから徒歩5分ぐらいのところにあります。 | 桜山神社招魂场。一番高いのが吉田松阴のもので、2014年12月1日のつぶやきで书いた福田侠平の碑はそこから向かって右4番目にあります。 | 小仓北区赤坂にある长州奇兵队の墓。敌の肥后军により葬られました。明治元年に木戸孝允が下関に移そうとしましたが、肥后藩に断られたそうです。 |


